私は、「日常」の経験の中に、「楽しさ」や「嬉しさ」や「感動」や「驚き」・・・・、

 

まとめると「自分の人生の発見」をしていく経験をしていて、だから

 

「日常」が好きだし、欲しいわけです。

「日常」というのは、あえて「日常」を意図して演出するという行為が代表

 

なのでしょうが、くどくどと色々と書いてきた前出の例を鑑みれば、

 

①「日常」を実感した「日常」

 

②「非日常」は「日常」

 

という双方が存在していて、「日常」こそは、自分ではなく相手が勝手に認識している

 

というのが正しい。

 

そう思います。

①の、意図した「日常」は傾向としては衝撃としては良いですが、

 

飽きられる時間が早いので、独創性が問われます。

②の、「非日常」を相手が「非日常」と認識したものは、あまり面白くはないでしょうが、

 

傾向として長続きして、相手にとっての定番になる可能性は十分あります。

恐らく私は、このどちらも適当に情報発信している・・・・・、要するに

「好きなように勝手に書いている」

という一言にまとめてしまっているのでしょう。

しかしながら、日記で文章を書くとなると、単に、また深くに「目新しいものを書かなければいけない。」

 

とか、「非日常のほうが日常より皆関心がある」と思い込んでいるものだから、

 

すごい考えないとダメなんどゃないか?と思っている人はかなり多いような気がします。

そりゃ、誰かの心に響くような文章が、常に書ければいいのでしょうけど、

 

プロの執筆家でもない我々は、そんなことできないのですから、

まずは、つまらないと思える自分の日常でも書けばいい、と結論づけています。

 

でも、それが誰かにとっての価値になっているというのは、恐らくそれは当たっています。

「起こった事実」と、「そこから得た感情」の二つを書くだけで、それは紛れもない独自性

 

です。